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2009年8月

全国障害者問題研究集会

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全障研集会がつくばで開催されました。しかし、参加は支援者一人と青年学級の担当者3名。それも分科会のみ。とびたつ会の皆さんをお誘い できなくてすみません。

「第30分科会 青年学級 文化活動」のレポートは、以下のとおり。

・「わたしにとっての青年学級」(和歌山)兼本さん

・「障がいのあり人の音楽表現活動」(愛知)松田さん

・「なかまと楽しむ」(世田谷ひかり)田中さん

・「青年学級」(日立)渡辺さん

・「マリア ボーイズ&ガールズ バンドの活動」(三重)蛭川さん、藤田さん、小日向さん

・「人形劇セラピーの報告」(愛知)南さん

・「川越市青年学級」(埼玉)

・「たねまく会」(茨城)

・「町田市青年学級」 宮城さん、景山さん、的野さん

・「とびたつ会」 

それぞれの報告をして、活動を交流しました。

来年は、名古屋です。8月7日8日。仲間の分科会を予定していて、歌などの交流ができればということでした。みんなで参加しましょう!

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8月4日 「ひろしまの夏~命 輝け!~」

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8月4日火曜日午後6時30分から「ひろしまの夏 ~命 輝け!~」に若葉とそよ風のハーモニー30名で出演しました。

この会は、町田市に住む被爆者の神戸美和子さんとその仲間の人たちが企画したものです。

そのオープニングで、30分間歌をうたいました。曲は、

「ステージ」 「ほほえみの花」 「キレイな空」 「生きてゆこう」 「きみへの旅立ち」

の5曲。

これまでの活動で考えてきた平和についてアピールしました。

今後の活動

8月30日(日)10時~16時 公民館 ギョウザづくり

9月13日(日) 9時30分~17時 恵比寿に「ぼくうみ」を観にいきます。

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8月2日の活動 稲村七郎さんの話

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8月4日のイベントに向けての直前の活動日。午前中は、新聞記者の稲村七郎さんから「なぜ平和でなければいけないのか」ということについてお話をうかがいました。

写真の2枚目は広島で被爆した屋根瓦です。黒くなっているところが、熱線で変色したところです。

(要旨)

北海道摩周湖の近くでうまれた。8人兄弟の7番目

1945年3月15日生まれ

3月10日東京大空襲

3月15日大阪空襲

3月26日 沖縄上陸

生まれた近くに陸軍の飛行場があって、そこは爆撃された。となりの家は300メートルはなれたところにあるようなところだが、どこの家にも防空壕があった。地下に穴を掘って板で崩れないようにしていた。

「敵機来襲」というと防空壕に逃げた。

8月6日広島に原子爆弾投下

8月9日長崎に原子爆弾投下

被爆した瓦

原爆瓦(爆心地近くで、30年前に高校生が学習で掘り起こしたときに取材にいってもらった)

爆心地3000度ぐらいまで達した。

1945年年末までに14万人が死んだ。

推計:広島の原爆で死んだひとは26万人

長崎の原爆で死んだ人、15万人

40万人が原爆でなくなった。

この日本がおこした戦争で2000万人が日本軍に殺された。

戦争に軍人を送るためにたくさん生んでくれという政策がとられた。

私が生まれた年の平均寿命は男23.9歳 女35.7歳

戦争は自由に生きていくことさえ出来なくなった。

第二次世界大戦は、ドイツ、イタリア、日本が戦争をおこし、この戦争で死んだ人は5000万人

国際連合―揉め事は話し合いで解決しましょうと決めた。

その考えをより進めたのが日本国憲法である。

第9条戦争の放棄 

1946年に憲法ができた。『あたらしい憲法のはなし』

憲法9条が出来てから、その後1度も戦争をしていない。

日本の戦争で戦死者がでていない。

人権の基本は、誰にも干渉されず自由に生きていけるということ。

しかし、軍隊がないというのは本当か?

自衛隊があるが、憲法があるために軍隊とはいえない。

戦争をするにも戦争のルールがある。捕虜を虐待してはいけないなど。

交戦規則を持つことができない。唯一正当防衛権の行使だけになっている。

自殺する人が多い。海外にいると交戦できないので、不安が大きい。ストレスがたまる。それが原因ではないか。

世界の大きな流れも戦争ではなくて、話し合いによる解決になってきた。

しかし、戦争はたくさん起こっている。20世紀は戦争がたくさん起こっている。

図のとおり。

日本は憲法があったから、戦争しなかったのかというそうでもない。

この9条を変えたいと思う政治家はたくさんいる。

安部首相は「普通の国にしたい。だから憲法をを変えたい」

「そうさせない」という国民の意見があるから変えられなかった。

今から2年前、憲法を改正する手続法を決めた。憲法調査会をおいて議論することになっている。

30日の総選挙のマニュフェストに自民党と民主党が改憲を書いている。

岸信介も改憲に熱心だった人。

憲法を変えるのはとても大変。国会議員の3分の2が必要でその後国民投票が必要だから。

国民が不戦を願ってきたから憲法は改正されないできた。

戦争は、障害者を生みます。戦後、修学旅行にいくと、傷痍軍人が街中にあふれていた。戦争病者手帳を持っている3万3800人。日中戦争でどれだめの障害者がつくられたのかはわからない。18年たって手帳の制度がつくられた。1970年で16万人。

日本で大規模な地上戦は、沖縄だけ。ヨーロッパではもっと地上戦が起きたから障害者がたくさん生まれた。

イギリスでは、視覚障害者の就職が機械工だった。それができる設備をつくりなさいという法律ができた。いろんな働く条件を責任をもって国がつくるという思想があった。

日本は自立支援法で働く場を奪っている。

憲法25条 すべて国民は最低限度の文化的生活を保障しなくてはならない。だから、自立支援法は憲法違反だといって裁判が起こっている。

平和をまもる、暮らしを守るということは、他人に頼むことではない。自分から行動してくらしを守らなければならない。そのために投票は大事。

戦前はどうだったかというと、女性に選挙権がなかあった。女性には財産を引き継ぐことも出来なかった。自分の子どもに死なないで帰ってきてほしい、でも面と向かっていえなかった。

新しい憲法をつくる段階で、主権者はだれかという時に、天皇だという意見がまだ強かった。

しかし、国民主権となった。

小林多喜二も「蟹工船」で「戦争がいやだ」と訴えている。「315」という小説で拷問を告発する。翌年捕らえられて拷問により獄死。

天皇にはむかう人間は、殺されても仕方ないという考えから。

先輩が苦労して、今の基礎をつくってきてくれた。

私たちが主人公なので、私たちが戦争はいやだとみんなで言えば戦争は絶対おきない。

アセアンでも、アジアでは戦争をしないという条約をつくってそれを守らなければ加入できない。

原爆をつくっては人類が滅びる。アメリカ大統領も核のない世界が夢だと意見表明した。

世界は今話し合いで問題を解決しようとしている。

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2009年7月26日の活動 ゲスト 中村里美さん

8月4日のイベント「ひろしまの夏 命輝け!」にむけての準備の一環として、7月26日の午後は一緒に出演する中村里美さんのお話を聞きました。

中村里美さんはhttp://musevoice.com/satomi/、現在、被爆者のメッセージを歌と語りで伝えるLIVE「私のヒロシマ・ナガサキ」に取り組んでいます。22歳の時に、「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の民間大使に選ばれて一人でアメリカ各地の学校を回り、原爆映画を上映して「ノーモア・ヒロシマ」を訴えました。そのときの様子を映像を交えてお話いただきました。

みんなの感想

・とてもさむそうでした。

・アラスカに行けるなんてうらやましい。アラスカの子どもたちも広島のことがよくわかってうれしそうでした。

・今日のビデオをみて、広島で被爆したことを見て、なかなかむずかしかったけど、勉強になりました。戦争はやってはいけないと思います。今度は「広島って何」のビデオをゆっくり最後までみたいです。

・中村さんがアメリカアラスカに行ったときの話のビデオをみました。私は当時のアメリカが悪いとてっきり思っていましたけど、実は私たちと同じ人であり、最初の被害国でした。ネバーアゲインプロジェクトの団体に参加して、アラスカにいって原爆の恐ろしさと悲しさをアラスカの人たちに見てもらったけどなかなか理解してもらえなくて大変でした。自分たちは戦争の体験はないけれど、平和を伝えていきたいと思います。

・中村さんがアラスカに行ったことをいろんな人に伝えていければと思いました。ビデオでぼくが感じたことはすごくさむそうだなと感じました。アメリカの人にことばで伝えることはむずかしいと感じました。

・ぼくのおじいさんもおばあちゃんも広島の生まれのこともあって、原爆の映画とかアニメとかも見たこともあるし、今日のDVDもなんか見たような気がする。いまはそんなにないかもしえないけど、当時のアラスカの人にどうしたら人に伝えられるかを手さぐりでやっている姿がきっとアラスカの人にも伝わったと思う。

・アラスカはとても寒そうでした。ひろしまのげんばくのはなしをきいてよかった。ながさきの人たちはかわいそうでした。

・今日はとても感動した。ビデオをみて私もアメリカに行きたいなあと思いました。私たちの思いが伝わるように人と人とが出会いを求めてどんどん人の和(ママ)をつなげていければよいと思います。

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